【歴史ロマン】
周防東西ラインは下関「火の山」へ一直線!
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「火の山」一直線!

下松市「茶臼山」から下関市「火の山」へ
茶臼山山頂から真西に桂木山、草山埼灯台、そしてはるか彼方に火の山が!

2016年から始まった降松神社をめぐる謎の解明は、一度記事にまとめるつもりでしたが、コロナ過を挟んで数々の発見が相次ぎ、壮大なストーリーへと発展してしまいました。

最大の発見は下関「火の山(ひのやま)」です。下松「茶臼山」から真西には何があるのか?・・・探っていくと、関門海峡そばに「火の山」。あんなところに火山(かざん)があるわけはないし、もう名前からして怪しすぎます。早速、行ってみました。

火の山から見下ろす関門海峡火の山から関門海峡を見下ろす

周南エリアではあまり話題になることがない「火の山」ですが、古来から要衝である「関門海峡」を見下ろす重要な山です。事実、第二次大戦中は砲台が築かれ秘密にされていたエリアです。

調べると、古代には烽火(のろし)台が山頂付近に設置され「火の山」の名称がつけられたそうです。船が関門海峡を通るときには船数や大きさ、軍船なのか商船なのか目視で詳しく見下すことができます。

烽火は光速ネットワーク通信

烽火ネットワーク烽火ネットワーク

日本最初の妙見神は、まず下松洲鼻の桂木山に鎮座し、その妙見社が茶臼山(高鹿垣 たかしがき)、鷲頭山(わしずやま)へと移動しました。それが今につながる降松神社の源流です。

大内氏(鷲頭氏)は妙見神を氏神としながら貿易で財を成し、西国の覇者と成りえたわけですが、おそらく緻密で素早い情報ネットワークを駆使していたに違いありません。

茶臼山から北へ向かう磁北線上には、鷲頭山の降松神社中宮・上宮、瀬戸大将軍山、須々万、鈴ノ大谷山、津和野、石見空港(大溢遺跡 おおえきいせき)があります。大内氏は石見銀山も手中にしていた時期があります。

茶臼山から西には桂木山、草山埼灯台、下関火の山が一直線! 茶臼山から東には、石城山までが直線で、そこからやや北向きに折れ三ヶ岳、銭壷山、倉橋島、大三島・鷲ヶ頭山・・・最終的には奈良の都まで。こうした烽火ネットワークは時代によって、大内氏(鷲頭氏)以外にも、朝廷や幕府が主導権を持ち、活用していたと思われます。

出版化、主な項目(仮)

取材と撮影は、天気が良くてもすぐに水蒸気で見通しが悪くなる瀬戸内海の特徴に悩まされながらも、鋭意継続しています。そして2026年には下記項目を網羅した本にしたいと考えています。単なる歴史アドベンチャーを超え、最終的には日本という国の国家観や未来へ託す希望まで、筆者にとっていきなりライフワークをまとめることになりそうです。豊富な写真とわかりやすい文章で、今まで知らなかったことをお伝えします。ご賛同いただける方は、ぜひご支援のご寄付をお願いします。返礼品もご用意しております。

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